ガンダム展に行ってきた。
- 2005年 8月 19日
- カテゴリー : 娯楽全般
- 投稿者 : dominion.jp
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以前のエントリーで行ってみたいと書いた、天保山のサントリーミュージアムでやっている「ガンダム展 -来るべき未来のために- 」に行ってきた。客はカップルが多かったけど、まばらである。
目玉の「1/1 コアファイター」は、この前遊びに行った」航空自衛隊浜松広報館の実際の戦闘機と比べても、それなりにリアルで迫力があった(装甲の薄い感じなどは否めなかったが。)。映像やスケールモデルのコアファイターは、どうリアルに作ってみても架空の存在でしかない。しかし、1/1モデルが発している圧倒的な存在感は、ガンダムという架空世界と現実世界とを繋ぎ、現実の中に架空の戦争を体現しているようだった。
・・・しかし、あとはどうでもいいくらい退屈。ネット上でも殆ど無視されて話題に上らない時点で警戒すべきであった。
シャアモデルのノートパソコンとかヘルメットとかビッミョーな商品あったが、それの「ノートパソコン」とか「ヘルメット」を、「芸術という雰囲気」に置き換えただけという印象。糞雑誌「G2O」に通じるような展覧会。メッセージ性を理解するとかそういう以前に、ガンダムを題材にする必然性に乏しいのではないか。
そして、新鮮さも乏しいの。ビームライフルやジオングヘッドの意匠をあしらった巨大で綺麗な筆が展示されていたが、それってプライズの景品のビームライフル型のLEDライトやズゴックの爪の形してる水鉄砲と、表現として一体何が違うのだろうか?ニュータイプが感応(?)したときに出てくる映像表現を立体化して「ピキピキーン」てタイトルをつけて「進化だ!」って、むちゃくちゃだろう。ガンダムに刺青を入れて桃山時代の屏風絵風に描いて「傾奇者」とあったが、それなら武者頑駄無のほうが存在としてずっと傾いているだろう。ちょっと金のかかったスクリーンセーバーみたいな映像作品もあったが、結局ララァの影を出して「生命」って、使い古されすぎの表現である。生命を表現するのにそこまでララアというキャラそのものに頼るのなら、ララアとの邂逅シーンだけアニメから適当に抜き出して編集して流しておけば良い。
芸術としてガンダムのメッセージを読み解くならば、HobbyJapanのオラザク選手権等の作品の方が、戦争、進化、生命というテーマに対して、より深い意味合を感じさせてくれるものがあるし、素材としても筆の軸のように変にひねってるよりは、そっちのほうが素直だろう。次に「ガンダム展」で生命とか戦争とかテーマにまじめにやるなら、オラザクの秀作だけ集めて展示しとけばいい。ネタでやってるつもりなら「超音速のMS少女」の方がはるかに上。
商売としては、クリアー成型の限定HGUCガンダムが例によって売り切れになったらしいから、バンダイとしては万歳なのだろう。いちいち限定にしてプレミア感を煽るなら、はじめからオークション制にでもすればよいのではないかとも思うが。
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