森村進 自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門
最近注目の(?)リバタリアニズムについてちょっと読んでみようかなと思ったので購入しました。
以前読んだ中西輝政先生の考え方とは、政治的な方向性や国家観にしても、現実に対するスタンスとしても、おそらく全然違うところが多いはずなので、そこのギャップにも期待しつつ。。。
トピックとして出てくるのは個人と、国家・裁判・権利・家族・経済などとの関係。
そういった関係の中で「個人の自由はいったいどこまで可能なのか?」をリバタリアンの立場から紹介し、それを通してリバタリアニズムという思想を説明するという形式。
つらつら読んいでくと
「理想としては理解できるけど、実際にそのような社会を作ろうと考えたら不都合だらけになるだろうな。」
と思うような感じの説明が大量に出てきます。
でも、それについては、本書のはじめにハイエクの、
「経済理論家または政治哲学者の主要な仕事は、今日政治上では不可能であることが政治上で可能になるように、世論に影響を与えることにあるべきであり、それゆえに、私の提案が現在においては実行不可能であるという反対意見は、私がこれらの提案を発展させることに少しも妨げにならない。」
7pより孫引き
という言葉が引用され、そして本書の最後の、
「政治と行政の現状に受け入れられようとする現実主義的議論は、いつまでも世論に影響できず、かえってその変化を追認するだけに終わるだろう。」
212pより引用
という筆者の言葉で意味づけられています。
(今、アマゾンのレビューを見ていたら同じようなことが書いてあった。。。)
なるほど、まずは背後にある思想を理解してもらうとこから始めないと、何事に関しても実現させることが困難なのは確かですな。
この本読んでて一番面白かったのは「第7章?自生的秩序と計画」。
ハイエクが、
「コモン・ローや慣習法は自生的秩序だからOK、制定法は設計的にできた社会制度だからダメ。」
という趣旨のことを言っている一方で、
「政府が貨幣を発行する制度は『自生的秩序』で、ハイエク自らが提案している自由貨幣制度は『設計』したものじゃないか。」
というハイエクへの批判については、
「自由貨幣制度は進化を阻害してきた現存の障害を取り除くもの。政府が貨幣を発行する制度は自生的秩序じゃない。」
という趣旨の返答をしていることの矛盾を指摘している部分。
「こういう言い方するならコモン・ローだって慣習法だって自生的秩序じゃないじゃん。」
というのが筆者の主張。
結局筆者は、
「重要なのは自生的か否かという秩序の形成過程ではなく、その秩序のもたらす帰結が「自由」ならばそれは自由な秩序でよいのだ。」
と導いています。
この部分は、リバタリアニズムを離れて「自由」を「効率」に読み替えたら、規範や慣習も扱う、経済学の比較制度分析の分野とまんま関わって来そうな部分でとても興味深かったです。