ケンブリュー・マクロード 表現の自由(R) vs知的財産権―著作権が自由を殺す?

著者はアイオワ大学コミュニケーション学部の教授。レッシグの三部作(CODE・コモンズ・FREE CULTURE)の扱ってるテーマを、特に表現の自由の観点から見ている本。

全編を通じて、商業主義がいかに表現の自由や文化や学問の進歩に対する阻害要因になってきているかということを、関係者への数多くのインタビューや実例を挙げて主張している。特にアメリカのヒップホップについての事例を豊富に紹介している。その中で、権利者(著作者というではなく)や、政府に対するうまい皮肉が随所にちりばめられており、思わずプっと吹き出しつつ、主張に納得させられてしまう(中でも本書のタイトルにも「表現の自由(R)」とある通り、「表現の自由」という言葉について皮肉交じりに商標登録の申請を出したなんと登録出来てしまったというのが本書一番の皮肉だろう。)。

のまネコ問題にしても、モナーを「のまネコ」なんて強弁して著作権で独占的に囲い込み、グッズからライセンス収入をとろうと邪なことを考えたからいけないわけで、あくまでPDの作品として使っていたなら、問題になることもなかっただろう。「のまネコ」は声高な独占的権利の主張は必ずしも商業的な利益にはつながらないし、文化の発展を阻害することにもなったという好事例である。

文化の発展の度合いを最大化するような著作権の丁度良い強度(?)が存在するはずで、著作権制度ってそれを目指して柔軟に変わらなきゃいけないんでしょう。別に著作権制度ってレコード屋や出版社を儲けさせる為のものではない。そらく技術や表現手法の変化に伴って、その理想的な強度は絶え間なく変化し続けるはずで、そういう絶え間ない変化に対応できるような柔軟性のある法律って、どうやったら作れるんだろうか?

知的財産権で有名な小倉弁護士もこの本と「のまネコ」を絡めた記事を書いている。ほぼ同意できるのだが、しかし、

しかし、今回の騒動では、むしろ、ネット上の大衆の側が、コンテンツホルダー側の表現活動を阻害するために著作権法を持ち出してしまったわけで、せっかくコンテンツホルダー側が少し歩み寄ってきたのにネットワーカーたちがテーブルをひっくり返してしまったようにも見えます。上記ブログ

というのはいただけない。エイベックス側がモナーを「のまネコ」と言って独占権を主張したことがこの問題のコアだろう。PDであるモナーを使ったんだから、それを潔く認めて売り出せば良かっただけのこと。