2006年 5月 の記事

東京新聞はノー天気かつ超然としており何さまなのか

申込者数が過去最低になったことについて、中央省庁のある中堅官僚は「量の問題だけでなく、質の問題だ。転職できる能力がある人が役所を辞めていくケースが過去に比べて増えている状況から判断して、優秀な学生は最初から民間に流れているのではないか」と分析。「いわゆる『キャリア』志望者に優秀な人材がこなくなる懸念が出てきている」と危機感をあらわにする。

敬遠される理由についても、「私が入省した当時は、世の中を動かしているのは官僚だという自負があった。しかし、世の中を変えるということに対して、今の若い世代が魅力を感じているかどうか。部下の辞職願を受け取った時に、話を聞いてみると、『もっと自分の能力を伸ばせる仕事に就きたい』『国会待機や政治家案件の下請け仕事を将来も続けるのは嫌だ』という声も多く、『辞めるな』と言えるほど、魅力がある仕事ではなくなっている」とシビアに分析する。

公務員全体を取り巻く環境への不満も強い。「人が増えないのに、仕事が多く、国会待機も長い。夜になって、突然、質問の通告をしてくる議員も相変わらずいて、残業が増え、役人一人あたりの負担は増すばかり」とため息をもらす。
キャリア官僚 志望急落のワケ – 東京新聞

記事は引き続き公務員志望急落のワケを、官の構造的問題という論旨で続けたうえで、最後に「デスクメモ」としていかのように締めくくる。

社保庁の年金保険料不正免除問題で、役人はどこまで腐ってしまうのだろうと思う。あるのは組織的な保身だけだ。一方で、「霞が関」を中から改革しようという、若手キャリア有志の動きが本格化した。将来、有能な人材が入りたがる役所に変われるのか。社保庁をみると、だいぶ「壁」は厚そうだが-。 (透)

ノー天気だな東京新聞ヽ(゚∀゚)ノ

役人が腐っていて、マスコミは無謬であるとでもいいたいかのような書きぶり。官の側にも問題があるのは確かだろうが、公務員志望者のやる気は、それ以上に東京新聞等のメディアがストレス解消半分にあることないこと針小棒大に叩くことによって削がれまくる、という事実には全く触れようとしない。

国に有能な人材が必用だと思うなら、「腐った役所を正す俺様は正義」という無謬性を纏った自社の記事のスタンスを改めるべきだろう。

「親にかかるお金」

タイトルは今週の東洋経済から。

今週の研修は老人福祉関連施設での実習だったところ、今週の東洋経済が老人福祉ネタを特集しておりタイミングが絶妙。

こういう実習でも無ければ今後とも老人福祉の現場を見る機会はそう多くはないわけで、戸惑いながらも、現場で起きているミクロな諸問題と、日本社会の未来に横たわる大問題とを同時に考えさせらた。

様々な技術で老いという問題が解決できれば、それは薔薇色だと思う。攻殻機動隊やEDENでは人体とメカトロニクスを融合する技術の進歩が恐竜的に進んだ世界を、半ばディストピアのように描いてるが、そう捨てたもんでも無いのではないか。

時間と体力面では大分余裕がある一週間が、でも精神的な疲労が溜まり、いろいろ考えさせられた一週間。

せがわまさき 鬼斬り十蔵1~4

せがわまさき 鬼斬り十蔵 1,,,作者サイト

これは面白かった。

作者のマンガは、バジリスク -甲賀忍法帖-、Y十M -柳生忍法帖-と、山田風太郎の原作の作品は既に読んでいるけれど、原作がオリジナルのこちらは未読だったところ、今まで読んでいなかったのが悔やまれるような面白さ。スピード感やカタルシスにはぐいぐいと目を引きつけられ、伏線の張り方も抜群だし、ラストシーンもダレず急かずでツボに嵌る。バジリスク以上の作品ではないか。

狗神ゴウザが柳生十兵衛にも憑いていたっていう設定、Y十Mの隠し設定で出てこないかしら。あるいは本作の派生で、弁慶にも憑いていたっていう設定を使って義経記モノの新作なんか描いてくれないかな。

今後のせがわまさきワールドに超期待。

浅野いにお ソラニン1・2

浅野いにお ソラニン12

ひかりのまち素晴らしい世界12も読んできたけども、
アンソロジー的だったそれらとは違ってこの作品は2冊続きのストーリー。

惰性っぽい日々の中で、なんとか先に進もうとする、自分と同じ世代の恋と日常、人生を描く作品と言えばいいか。木尾士目の四年生や五年生を彷彿とさせる青春劇。

ただ、こちらは鬱屈としていない。二冊通しての読後感を文にはしづらいが、一言で表現すれば「すっきり」というところ。心地よい気分に浸りつつ、自分もなんとか先に進もう…という気分になれたか。

20代で就活中とか就職したばかりとか、身の回りに変化とギャップを抱えるヒトにおすすめです。

駅まではその場の先着順でお送りしました。

昨日、車の中で同期女子に言われた言葉。

○○君て、普段は心に壁作ってて話しかけづらいけど、ちゃんと話し出せば、実はそうでもないよね。

壁をつくっているかもしれない。クールに生きたいというわけでも、もうクールだというわけでもないが、

かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。高校の終り頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがその思いつきを、何年かにわたって僕は実行した。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。それがクールさとどう関係しているのかは僕にはわからない。しかし年じゅう霜取りをしなければならない古い冷蔵庫をクールと呼び得るなら、僕だってそうだ。
村上春樹 風の歌を聴け 文庫版 109p

という一節を思い出しながら聞いていた。

ひとまず壁を作っておく、という生き方は楽なんだけど、それは古い冷蔵庫的な生き方かもしれない。

都心公務員宿舎売却、郊外国有地にマンション型建設へ

都心公務員宿舎売却、郊外国有地にマンション型建設へ
>都心の国家公務員宿舎については、民間からの「ぜいたく過ぎる」との批判が強く、国有財産を管轄する財務省は、公務員宿舎の家賃を引き上げてきた。しかし、一等地にある3LDK?4DKの宿舎の家賃は月9万円前後と、周辺の賃貸マンションの半額以下となっている。

だから首都機能移(ry

ディスカッション

脳内辞書、背景知識、興味・専門分野、現状把握、問題意識等に違いがありすぎる中で、ディスカッションをしようとすると、意思疎通が難しい。しかも、それが口で説明するのが困難な感覚的な部分によるところが大きいと、事態はなおさら深刻になる。

そして、お互い
    |  
    |  (‘A`) マンドクセ
   / ̄ノ( ヘヘ ̄
となるとディスカッションは終了する。

むしろ、メンバーの誰もがその事について等しく知らない方が、円滑に意思疎通できる。象を撫でるなら、群盲の方がいいこともある。

大学のたこつぼの中にいる間に、そーいう基本的なことを忘れていた。でも、これから先、もそーいう事態が頻発するんだろう。

「本日は定時退庁日です。業務に支障の無い限り・・・」

省内の放送で「本日は定時退庁日です。業務に支障の無い限り、速やかに退庁して下さい。」などと流れるが、「業務に支障の無い限り」という留保条件がポイントである。こうして、役人は、留保条件の重要さを理解していくのである。

最近、やっと課の仕事の内容を理解できてきた。この部局の中にあって、結構取り纏め的な色も強いようだ。ただ、対外的に、具体的に何をどうすると相手がどう動くのかがまだよく分からん。理屈も分からん。自分が相手なら、こんな仕事は無視する。

読む時間が無いのにアマゾンで本を買い漁ってしまう。気がつくと2万円近く買っていた。自分の役所が題材になった小説を見つけて買ってみたり。

以下、今週の雑記。

  • のどが痛い。
  • 5日中3日がタクシーでの帰宅だった。
  • 平均睡眠時間が5時間。去年の同じ頃の半分。
  • これは同期の中では忙しい部類に入るのではないか。少なくとも毎晩連れだって飲みに行けるような状態ではない。
  • メールの一斉送信で痛恨のミス。送信先から無用の問い合わせがじゃんじゃん入り、すいませんすいませんと説明の電話をかけまくる。

来週月曜から5週間は再び研修です。同じコースの人、よろしく。

2006年のGW

さっき実家からアパートに帰ってきたところで社会人初のGWが終了。GW後半は実家に帰って積みあがる一方だった本を何冊か読みながらゴロゴロするの日々。久しぶりにのんびりと休めた。

GWって、実は素晴らしい連休である。なんといっても、毎年、必ずある。世の中が休みの気分に満ちている。伊達に「ゴールデン」などと名乗っているわけではない。

これは社会人になって初めて身に染みることである。

学生時代は一応毎日学校に行かなければいけないことにはなっていたが、中学まで遊びに行っていたようなものだったし、高校では遅刻も休講も自分のペースで決められた。大学以降は完全にズルけていた。時間に縛られることはほとんどなかった。そして、何より豊富な長期休みの存在があった。今、思い返すと、まったく休みばかりである。「休みを有効活用する」なんて、概念が理解できなかった。

また明日から苦手な朝型生活が始まる。。。

藤原正彦 国家の品格

藤原正彦 国家の品格

実家に帰ったらそこらへんに転がってたから読んでみた。第一章を読んで捨てたくなったが、とりあえず最後まで流し読んだ。

どっかで聞いたことがあるような日本人論や、武士道精神が「重要だ」と言うのは主張だから構わない。

問題は「論理だけじゃダメなんです」って部分の「論理」が実にてきとーにすぎることである。

まず、経済学に関する基礎的知識がない。「市場原理主義」と世間で呼称される、あくまで一つの経済学のスタンス・主義を、まるで近代経済学の論理の帰結みたいに書くのは大きな誤りである。これをわざとやってるなら悪書、知らずにやってるなら更にタチが悪い。「ならぬことはならぬものです」という規範なぞは、近代経済学の一つである新制度派経済学がちゃんと分析対象している。経済学など何も知らぬくせに、知ったか振りして叩くから書く(手抜きの口述筆記本だから「言う」か)から恥をさらす。

「論理や合理性だけではダメなのだ、情緒と伝統こそが大切なのだ」という主張、それ自体に何の論理も合理性もなく、説得力がない。このヒト、「論理という概念が否定されるべきだから」ではなく「単にモノを知らないから」経済学を批判しているだけだ。「市場原理主義」と呼ばれているモノやその周辺、今のアメリカ形の社会・経済の諸制度が良いとは必ずしも思わないが、それを批判するに当たり、論理や合理主義を闇雲に否定して「日本人は優秀。情緒万歳。」と引きこもるのは、方向性もやり方もぜんぜん間違ってる。

こんな本が売れるのは危機である。

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