その1の続き
講演は、石川啄木、萩原碌山といった、若くして死んだ明治の芸術家や、安彦氏が現在教鞭を執っている神戸芸術工科大学の若者の話をなど天才・才能のテーマが中心だった。
しかし、自分がいちばん興味深くかったのは、アニメ・マンガと政府との関係の話である。昨今、日本では産業としてアニメやマンガを育てていこうという考え方あり、新しい日本文化の一つとして国内外のマンガ家に賞を出したりもしているところである。そういった動きに対しては、二人とも否定的であった。
飯田氏(以下「飯」とする。):「ほっといてくれ、という感じ。」
安彦氏(以下「安」とする。):「韓国には国が肝いりで作ったアニメを教える大学があるが、アニメを学びたい人は結局日本にくる。」
安彦氏も優秀賞を受賞した文化庁メディア芸術祭での顕彰についても、
安:「賞を頂けるのは、やはり漫画家としての仕事が認められるということなので素直に嬉しい。ただ、それを政府がやる必要があるかといえば疑問。じっさいのところ、受賞作品の選考はかなりまじめにやってるらしいが…。」
とのこと。このあたりについて、もうちょっと聞いてみたかったので、自分でも質疑応答の時間に、役人だとは言わずに聞いてみた。
自:「先ほどから話題になっていましたが、それ以外のところで、アニメやマンガに対して政府が出来ることって何だと思いますか?」
安:「さっき飯田さんも言っていましたが、政府ができることは無いんじゃないでしょうか。」
と。さらに、先日の国際漫画賞については、
安:「日本政府が、外国の香港劇画の大御所に今さら賞を出す意味がよくわからない。」
飯:「どうせビッグネームに賞を出すなら、いっそのことディズニーにでもあげちゃえばいいのでは。」
安:「政府にたいしてはほっといてくれということ。ここまでマンガやアニメが育ったのは、政府が手を出さなかったから。」
という感じで、講演終わり。
たしかに、マンガやアニメ業界は、これまで政府が中身にも制度にもほとんど干渉してこなかったからこそ現状の発展がある。「カネを出すけどクチも出す」的奨励策や、ポップカルチャーを外交戦略として使い始めたら、それらの魅力はスポイルされてしまうだろう。政府が口を出して作られたマンガやアニメが面白くないことは全く想像に難くない。
また、政府が出来ることなんて限界だらけである。例えば政府がエロマンガやエロゲーをもり立てるのは、よほどの覚悟がなければPTAやらなにやらからの強い批判に持たないだろう。
だけど、そういったコンテンツの中身への介入的施策や往年の産業政策的なゴリゴリでもないところで、国が何かできるのではないか。この産業は自生的な制度の中で発展してきたけれど、その自生的制度の中には市場の失敗的な制度上の歪みがあるのではないか。例えば多少のヒットではアニメの製作現場には収益は還元されないため、アニメとは現場のやる気と根性に支えられて生み出されているものなどとも言われているところである。そういった市場構造の歪みのせいで、文化的・経済的なポテンシャルを生かし切れていないとしたら、それこそは政府がなんらかの施策を考えていくべきじゃないのか。
その後、展示の方を見て、図録を買って帰宅。講演のことばかりになってしまったが、原画は流石御大と言う他無い。これまでも、安彦良和全仕事集や安彦良和画集でカラー画を堪能はしてたものの、MARAYAなぞは、原画で見ると肉感的なところが際立ってホント最高である。
本原画展は11月には京都駅でも開催されるので、kyoto-u.com利用者の皆さんも行ってみるべき。
安彦良和原画展 会期・会場